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長野日報新聞「土曜コラム」に掲載中のコラムです。ぜひお読み下さい。
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92. もう一人の自分
93. ニ間続きの座敷
94. 子育ては今が大変
95. 霧に迷いし蛍かな
96. 旅は人生を豊かにする
97. 持家の選択
98. 自動車を手放すとき
99. 投資してますか?
100. お金と人を見つめ続けて
平成26年
93 二間続きの座敷
93 二間続きの座敷
旧家の家屋敷
代々続いている家は広い敷地の上に建てられていることが多い。家の周囲を塀や生垣で囲い、正面の門の左右には門屋が配されている。また敷地の中には土蔵造りの倉があり、倉の中にはかつて使われていた家財や茶器、骨とう品などが保管されている場合がある。これとは別に漬物や味噌類を保管する味噌倉がある家もある。
家の中に入ると、既に改装されているが、かつては土間であったことをうかがい知ることが出来る。台所は家の北側に位置して比較的涼しそうな場所である。これは食品が傷まないように配慮したことだろう。しかも何人もが一度に台所に立てるような広い空間である。
旧家は数世代にわたり住み続けられてきたので、庭木も立派に茂っている。樹齢数十年以上もする庭木が何本も植えられ、その中には見るからに立派な松の木が枝葉を伸ばしている。大きな庭石もあり、池があれば色鮮やかな錦鯉が何匹も泳いでいることもある。
そんな庭を眺める最適の場所に二間続きの座敷が位置している。
日当たりの良い南側に位置して、家の中で最も好条件の場所である。
座敷の障子は雪の日でも庭を見て楽しめるよう雪見障子が取り付けられている。
それにしてもどうしてこんなにも大きな家が必要だったのだろうか。複数世代が同居するからといっても、また子供の数も多かったといっても普段使用する部屋は限られていたはずだ。また二間続きの座敷は普段ほとんど使用されることはなかったと思われる。
大きな家は家制度の象徴
かつて明治時代の家制度が布かれていた頃家族の中に戸主が存在し、その戸主が家のすべての権限を握っていた。
戸主の義務としては家族を扶養することであるが、権限としては家族の婚姻や養子縁組に対する同意、家族の居所を指定する権利、家族を家から排除する権利などを保有していた。家族は戸主には絶対に逆らえない立場であり、もし逆らったらそれは生きていけないことを意味していた。
財産に関しては家督を譲られる際にすべてを相続するので、財産ならびに権利が戸主一人に集中していたことになる。戸主はその家に生まれた長男が代々継承するのが慣わしであり、他の兄弟姉妹とはまったく別の扱いがなされることになる。
明治時代の中期から民法によって制定された家制度は昭和22年まで続いた。そして戦後になり配偶者や他の兄弟姉妹の権利が均等に扱われる現在のような均分相続に変わった。
現在のように相続により資産が分散されることがなかったので、大きな家が何代にもわたり維持できたと思われる。また子供たちも個人の権利、まして個人の欲求より家の存続を第一に考えるようになったことだ
ろう。
家族が集う場所が家であり、受け継がれた家族という組織を象徴するのが家である。旧家の家は現在とは異なる生活スタイルの下で使用されてきたと思われる。今では無駄と思われる空間も当時においてはそれなりに意味があったはずだ。
二間続きの座敷で昼食
先日農家の田植えを初めて手伝うことがあった。当日集まったのはその家の祖父、長男夫婦と3人の子供、長女夫婦と子供1人、長男の嫁の妹夫婦と子供1人である。今では機械で稲を植えるので運転手1人に対して稲の準備、片付け等の手伝いに相当数の大人がいることになる。やることがなく持て余してしまうかと思えば、決して忙しくないが一応行える作業はある。
女性は子供の相手をしながら女同士の井戸端会議も行われている。子供たちは大人の真似をして作業を手伝っている。ふざけて危なくなると親が注意をするが、子供なりに献身的に手伝おうとしている。
男の子は機械に興味があると見え、父親のひざの上にちょこんと乗って自分が運転しているように自慢気である。兄弟で譲り合って機械に乗っているところが可愛らしかった。また大きくなったら父親のように運転してみたいと言っていた。
ひとしきりするとお茶の時間である。あぜ道の上にござを敷いて菓子や漬物を摘み、お茶を飲みながらの休憩である。田園風景を眺めながらのピクニックである。
田植えの季節は新緑が美しい時期である。また水面を渡る風も気持ちが良い。このような中で家族が集まり協力して作業をすることは、なんとも微笑ましくこちらまで嬉しい気分になるものだ。
昼食は家に帰って皆で食卓を囲む。大勢なので食堂ではなく二間続きの座敷で昼食をとるのである。
季節のものや手作りのものがあると実に嬉しい、なにより大勢で食事をすることは最高のご馳走である。普
段使われることのない二間続きの座敷が今日ばかりは無くてはならない空間であった。
今どきの住宅
チラシに入ってくるプレハブメーカーの間取りには二間続きの座敷はほとんど見当たらない。畳の間があったとしても一間である。
座敷は柱や梁を表に出すため見栄えの良い材木を使用することになる。また壁は塗壁かクロス張りにしても品位のある素材が使われるだろう。さらに床の間か飾り棚の造作には手間がかかるだろう。使用する板材にもこだわりが出てくるかもしれない。二間続きの座敷であれば欄間も欲しくなる。障子や襖もコストアップの要因になる。
今どき若い人が住宅を建てる際に二間続きの座敷を設けることはほとんどないといわれている。単位面積当たりの価格で住宅コストが算出されれば、二間続きの座敷はコストアップになり、使用することがなければ設けられることはない。
一間だけ和室を設けた理由は親が泊まりに来たときのためであると言っている人がいた。親が頻繁に泊まりにくることはないので、普段は締め切られた物置部屋となっているそうだ。
それでも注文住宅では二間続きの座敷を希望する場合もあるようだ。親と同居する二世帯住宅、比較
的田舎の農家の場合であるそうだ。
住宅はプライベート空間
かつて結婚式が自宅で行われていた。しかし新郎新婦が床の間の前に置かれた屏風を背に親戚縁者が宴会をする様子は今では連続ドラマの光景でしかない。実際に自宅で行うとなれば参加者分の膳や茶器、食器が必要となる。それらを保管するには倉が必要となる。
また宴会に出す料理や酒を準備する裏方の人々もいるので、その時ばかりは多くの人が集まることになる。それぞれの都合もあることから今ではホテルや結婚式場など外で行われている。
葬式も寺や葬儀場で行われることがほとんどであるが、通夜は自宅で行われることがある。上座敷には祭壇が飾られ故人が北枕で眠っている。親戚縁者や近所の人が焼香をしながら故人の死を悼むのである。このように多くの人が集まる際には二間続きの座敷は必要である。
多くの人が集まるのは結婚式や葬式だけでなく地域の祭りの場合がある。二間続きの座敷には座卓の上にご馳走が並んでいる。離れて暮らしている家族もこの日は準備や接待に追われながら祭りを楽しんでいる。
子供たちは久しぶりにいとこ同士で顔を合わせ、子の成長振りや近況を語り合うのである。同世代の者が多く集まるのはなんとも楽しいものである。
こうしてみると二間続きの座敷は自宅でありながら、ある時は式典会場や宴会場となりパブリックスペースのようである。多くの人が集まる中で人の振りを見ながら学んでいくことがある。それは子供にとっても大人にとっ
ても同様である。
年配者には多くの出来事が行われてきた二間続きの座敷は楽しい記憶の源であるかもしれない。だから住宅取得時には二間続きの座敷にこだわるのかもしれない。
現在の住宅事情からすれば二間続きの座敷を設けることは難しいが、いつまでも記憶に残るような家族のイベントは現在の住宅でも行えるはずだ。住宅はくつろぎの空間であるが、非日常的なイベントのほうがいつまでも記憶に残るだろう。
長野日報土曜コラム 平成 26 年 5 月 24 日掲載
有限会社テヅカプラニング 手塚英雄
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