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長野日報新聞「土曜コラム」に掲載中のコラムです。ぜひお読み下さい。
平成26年
平成27年
平成28年
平成29年
平成30年
令和元年からのコラム
平成31年
28. ライフデザイン
29. FPビジネス
30. 新社会人の金融知力
31. 家の取得
32. キャッシュフロー表から始めよう
33. FPワークショップ
34. 本当の保険の見直し
35. FP試験に合格する
37. お金と教育
38. 老後の生活は株価次第
39. 賢く備える老後資金
40. FPとの関わり
平成21年
40 FP との関わり
FP との出会い
これまでのコラムから筆者の意見は大分見えてきたが、筆者の素顔がいまひとつ見えないので、自身を書き表して欲しいという意見を頂いたことがある。コラムを書き始めて今回で40回になるので、これを機会に私自身のFP との関わりを振り返ってみたいと思います。
大学では工学部だったので卒業と同時に製造業に就職した。同期入社120名いたが、ほとんどが東京配属であったが10名ほどが長野県配属で、そのうちの1人となった。職場は工場の技術部門では製造ラインの間接スタッフや設計部門では製品設計を担当した。
父親が以前から株式を所有していたことから、多少関心のある製造業の株式を保有した。銘柄選択は証券マンにお任せだったと思う。儲かったか損をしたのか覚えていないが、リスクのある金融商品との初めての出会いであった。当時、工学関係の書籍より経営、経済、金融関係の書籍に関心があった。このころからちょっと変わったエンジニアだったかもしれない。
やがて結婚して初めての子が産まれたときに生命保険を見直した。2人の保険営業職員が地区担当と言いながら我家にやってきた。同僚、先輩も多くの人が入っているということなので、同様の保険種類、保険金額を設定した。おそらく支払える保険料から保険内容が決まったと思うが、当時定番の定期付終身保険であった。契約するまでは足しげく通ってきたが、その後はすっかり姿を見ることがなかった。幸いに入院することもなくこの保険契約は後に解約することになった。
この頃までは普通のサラリーマンとさほど変わることはなく、お金には関心がなかった。お金に細かい者を卑しいと感じる雰囲気は職場にあった。ただ月100時間以上も働いても時間外労働は自主申告で上限が決められていたので、労働と収入は連動しないことに違和感を感じていた。
不動産経営と独立
子供が生まれると誰もが思うようにマイホームが欲しくなる。借金も男の甲斐性と捕らえていた。しかし、先輩を見るとマイホー
ムを取得した人はまもなく転勤が命ぜられ、引越しをしていた。
企業の中堅になれば転勤も当然かもしれないが、その後マイホームは会社が借り上げられることもあった。
住宅ローンは払い続けなければならない。単身赴任という選択もあったが、ダブルで住居費を負担することになる。仕事のた
めなら仕方ないことではあるが、なんとなくもったいなく、釈然としない気分であった。
やがて戸建てのマイホームを建てても他人に貸すならば、アパートを建てて自分がそこに住めば、将来他人にも貸しやすい。また他の入居者からの家賃はローン返済に役立つことになる。マイホームはいつしかアパートに変わっていた。
賃貸住宅収入は不動産所得になり、確定申告をしなければならない。煩わしいと感じながらも、建物の減価償却を経費に算入すると赤字になり、給与所得と通算すると毎年税金が返ってくることは驚きであった。
アパート経営をすることで多くの勉強をすることになった。土地取得には親からの支援があったが、贈与との関連を調べることになった。住宅メーカー担当者も賃貸住宅は初めてであったらしく、さほど頼りには出来なかったので、直接税務署に出向いて償却方法や経費の範囲を確認した。
全て手探りで進めなければならなかった経験から、誰かが安心して導いてくれたらどれだけ助かるかという思いは現在につながっていると思う。
サラリーマンになって10年が経過し、会社の看板を捨て自分を社会で試してみたいという気持ちから退職を決意した。収入減少分は不動産収入である程度賄えるだろうとリスク転嫁を行なっていた。
保険代理店
転職するならばこれまでとは全く異なる業種を選ぼうと思い選んだのが損保代理店であった。開業資金も要せず、在庫もない事業で自分を試せると考えたが、今思えば大きなリスクを取ったと思う。エンジニアから営業マンへの転職であったが、比較的順調に推移した。保険ビジネスは保険を売るのではなくお客様にリスクの気付きを提供すること、また他の営業マンと違うものを得意とすることにより、新たな信頼が得られ、市場が広がっていった。
損保に携わると垣根の向こうに生保がある。損保だけでカバーできる範囲は限られている。また一社で取り扱える商品も限られている。お客様の信頼を高め、広げるには生損保の複数社乗合代理店を目指した。保険に関してワンストップサービスの提供であった。
この頃新たにマイホームの取得を考えていた。子供も大きくなりアパートでは手狭になってきたので、住宅メーカーに設計を依頼して、図面も出来て契約金を支払った。ところが立地場所からみると住宅ではもったいないと思うようになった。
アパート経営の経験を活かしてテナントビルの建築に変更した。住宅メーカーはテナントビルを建てられても入居者募集のノウハウを持っていなかったので、地元ゼネコンに依頼することになった。住宅メーカーに払った契約金は高い授業料になった。テナントビル経営に合わせて法人化することにより、消費税の還付を受けることが出来たのは、新たに付き合いの始まった会計事務所のアドバイスである。
FP資格取得
損保、生保共に資格を上げるために知識基準が設けられていて、損保は特級、生保は大学まで取得したことはFP資格に類似しているところがあった。当時始まって間もないFP協会の認定資格はわずかな知識の追加でAFP 資格を取得することが出来た。
これまで保険ビジネスはお客様第一主義で進めてきた。しかし、保険会社にとっては欲しい顧客と欲しくない顧客がいる。また代理店も一社専属で忠誠を尽くしてくれる代理店の方が扱いやすい。お客様にとって望ましい形態は必ずしも保険会社にとって望ましい形態とは限らない。
複数乗合形態では一社あたりの契約高は少なくなる。保険会社は契約高に応じて手数料率を決めるようになり、一定基準に満たないと代理店委託を取りやめる。一方売れる代理店には手数料が厚いだけでなく、社内コンベンションに売上上位代理店を招き表彰する。かつて浦安でコンベンションに参加したことがあるが、至れり尽くせりで殿様気分になってしまう。参加された方は来年また参加できるよう1 年間頑張るといっていたが、視線はお客様より保険会社に向けられていると感じた。
独立事業体である代理店の方針と保険会社の方針の食い違いからトラブルに発展し、これまで築いた市場を失うことになった。契約は保険会社が指名した一社専属の代理店に移された。売上の大きな部分を失うと共にこれまでのお客様の期待に応えられなくなったことは、大きなダメージであった。保険代理店とは保険会社の代理店であり、顧客の購買代理店ではないことを強く認識していなかったことは今思えば大きな反省である。
AFP 資格を取得してから独学で勉強したため、CFP 資格取得には大分時間がかかった。相続、リスクはすんなり取得できたが、牛歩のごとく1課目ずつ合格し、受験自体がライフワークに思えた。最後の2課目のライフと金融は偶然にも同時合格でき、CFP になることが出来た。1 級FP 技能士は学科免除になるので、実技のみを受験して取得することが出来た。
これからのFP事業
これまでの自分の生活を振り返るとFP に関連した出来事が数多くあった。事前にFP 知識があれば、もっとスムーズに過ごせたと思われる。人生はお金のためにあるのではないが、お金が無ければ心豊かに生活できない。お金に振り回されないように生活できたら良いと思う。
FP事業として現在FP技能士講座を行なっている。資格取得を目的に受講される方もやがて自らのライフプランの見直しに着手される。そんな要望が出てきたので、FP ワークショップでは自身のライフデザインの再確認を行い、他人の意見を聞きバランス感覚を育みながらシミュレーションできるツールを提供している。実践FP セミナーではFP としての個別具体的なアンサーを提供している。FP事業のヒントは受講者やお客様の声をもとに、一般化と個別化の双方から成り立っている。
お金というものさしを通じてライフデザインやライフプランを考えれば、今まで気付かなかったことが見えてくる。先が見えない時代、不安が先行する現在ゆえに自身の機軸は必要と思われる。
過去と現在の延長線上に将来がある。将来を明るく豊かにするには、新たな種を蒔き、育てることである。突然バラ色の未来が開けたり、不幸のどん底に落ちることはないと思う。現在保有するリスクという種が良くも悪くも影響する。FP を通じて私のわずかな経験と知識が、今後関わりを持つ人に少しでも参考になれば幸いである。
長野日報土曜コラム平成21年12月26日掲載
有限会社テヅカプラニング 手塚英雄
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