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高齢者の茶の間は片付けられない

 

葬式がお寺やセレモニーホールで行われることが多くなったが、相変わらず通夜は故人の自宅で行われることが多い。和室に祭壇を飾り故人の姿がある状態で読経が行われる。畳に座りきれなければ板の間まで座布団が広がる。

 

座布団があっても普段正座に慣れていなければ、すぐに足がしびれてしまう。立ち上がる際体勢を崩して転んだりすれば他人に迷惑だけでなく捻挫の危険性があり、厳粛な雰囲気を台無しにしかねない。高齢者になれば足腰が弱り、特に膝や関節に欠陥を抱えていれば身動きが制限される。

 

若い頃に比べ体の自由が制限されれば、家の中の整理整頓は疎かになる。特に日常生活の中心となる茶の間には物が溢れる。テーブルの上には常備薬、眼鏡、新聞雑誌、町内の回覧板などが重なり合い、茶の間の棚や引き出しには役所や金融機関から届く通知、10年前の年賀状などが廃棄されることなく保管されている。

 

片付けられないのは身体が不自由になってきたとともに、片付けることがかつてに比べると煩わしくなってきたのだろう。さらに物が散らかっていようが、汚れていようが大したことではないと慣れが生じてきたのかもしれない。

 

年を取るとともに生活全般を楽な方へと手抜きをしても、年寄りだから仕方がないと許される。こうなればますます楽な方へと傾き難しいことや新しいことに手を出そうとしなくなる。

 

最近の自動車は追突防止や誤発進防止など高齢者の危うい運転を助ける機能が装備されても、これまでと同じく慣れた自動車に拘る。

 

IT技術が進化し情報のやり取りに便利な時代になっても、携帯電話を持とうとしない。持っていたとしてもガラケーで新しいものに変えようとしない。スマホに替えれば振り込め詐欺や特殊詐欺の被害に合いやすくなると思っているらしい。

 

新しいものを使おうとすればその使い方を覚えなければならない。マニュアルを読もうにも横文字だらけで意味不明になればストレスが生じるばかりである。新しい物や事には新たなストレスがつきものなので、有効であると分かっていても理由をつけて敬遠する。

 

今日の快楽、明日の充足

 

私たちが感ずる幸福感を短期的と長期的の2つに分けられる。短期的幸福感は「快楽」といえ、主に人の5感を通じて得られる。

 

美味しいものを食べたとき、美しい音色を聞いたとき、美術館で名画を見たとき幸福感に浸ることができる。現代風に言うならば「元気をもらう」「テンションが上がる」「やる気になる」「癒される」などだろう。

 

快楽による幸福感の特徴は一時的な喜びで時間が経てば消えてしまい蓄積されない。比較的容易に手に入れやすい幸福感である。頻繁に同様の幸福感を得ていると次第に慣れてしまい、更に強い刺激がなければ満足できない。ニコチン、アルコール、ドラッグ、ギャンブルなど依存症と似たところがある。

 

自己中心的、浅はかな思考から求められやすい。個人の趣味や余暇などから受けやすい幸福感である。

一方長期的幸福感は「充足」といえる。快楽による幸福感より複雑であり、個人の強みや美徳から生ずるので、人それぞれの感じ方になる。「やりがい、生きがい」に通じ、面倒くさがらずに関心を持って取り組めば新たな発見や出会いがある。

 

「充足」は現状のままでは得難く新たな訓練や努力を要する。また困難と直面し、失敗の可能性がある。何度となく挑戦しているうちに没頭状態に入ることがあり、夢中になり時間が止まった感覚になることもある。

この幸福感は趣味や余暇などではなく仕事や研究を通じて得られやすい。一生懸命取り組んでいたらその努力の蓄積により当初描いた目標を短時間で軽々と超えることもある。

 

人は痛みが伴う行為は嫌う。痛みは身体の健全さを犯す危険信号なので、人だけでなく全ての動物に備わった生命防衛本能である。もし痛みを好み、求め続けて生命の危うさも省みなければ、おそらくこの世には既に存在しない種属になっていただろう。

 

登山は長期的幸福感が得られる充足行為と思われる。登山がブームになってきたからといって素人がいきなり3,000mを越える山に登ることはできない。山道は石だらけの斜面が何時間と続く。普段から足腰を鍛えておかなければ途中で諦めることになる。特に下り坂では石を踏み外しバランスを崩せば、転倒し骨折しかねない。

 

山道を登り始めれば汗が体中を流れ不快になる。蜂やアブなどもいるので刺されて腫れることもある。トイレに行きたくなってもすぐに行ける訳ではない。また山の天気は変わりやすく雨が降ってくれば、景色も見えず苦行としか思えない。

 

それでも登山者が減らないのは苦しみを越えた先にある喜びを知っているからだろう。360度のパノラマは格別のものになる。苦労をともにした登山者達は単なる他人ではなく連帯感が生まれる。ロープウェイで登って同じ場所に立っても連帯感は生まれず、喜びも薄い。

 

虎穴に入らずんば虎子を得ず

 

これは良く知られたことわざである。中国後漢時代の軍人である班超が言った言葉とされる。危険を避けては大きな成功は得られないという意味である。

 

虎の子を得ようとすれば虎の棲家に行くのは当たり前であるが、虎の子は宝物でありそんなに貴いものであったのだろうか。当時動物園に高く売れるとは考え難いし、ペットとして飼うにも成長したら猛獣になるので扱いづらい、それが虎の子といわれるほど貴重なものだったのか。

 

虎の子をどんな目的で得ようとしたのかは別にして、命懸けで事を成そうと思えば当然周到な準備をする。綿密な計画と全神経を集中して行動するだろう。

 

無謀な計画と無責任の行動から命を危険にさらすことはあっても、現在実際に命懸けで事に当たることはほとんどない。年を取り世の中の道理をわきまえれば、ますます危険を冒すことに慎重になる。ほんの僅かなリスクでもあると分かれば避けるようになった。

 

いつしかリスクを取らないのが大人の振る舞い、真面目に堅実に無事でいるのが余生の過ごし方と勝手に決めてしまった。言い換えれば新しい物事を取り入れることなく、これまでの慣れ親しんだ物事だけを受け入れる。

伝統と文化を尊重すると言えば聞こえが良いが、因習に拘る単なる頑固おやじでしかないかもしれない。

人生の終末期に振り返って後悔するのは長期的幸福感の不足である。たっぷりと時間がありながら面倒なこと、煩わしいことをもう年だからと自分に言い聞かせ新しいことを避けてきた。

 

短期的幸福でその日の気分を紛らわして過ごしてきた。今までどおりの友人といつものお喋りをし、気の合う仲間と酒を飲み、孫の成長を見守るだけの人生では余生は長すぎる。

 

新しいことを始めるのに年を気にすることはない。本当に危険が伴うならば無理は止めたほうがよいが、自分の先入観でやらないというのはもったいない。退職して自分だけの時間があるなら多少の危険を冒してもその先にあるものを確かめてみたい。

 

 

 

 

長野日報土曜コラム 平成29年9月23日掲載

有限会社テヅカプラニング 手塚英雄

 

 

133 虎穴に入らずんば虎子を得ず

 

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