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75 適当でいいじゃないか

長野県民性

 

個人のライフプランの中で仕事は大きなウエイトを占める。どんな仕事に就くかより、どのように仕事を行なうかは、個人の生まれ育った家庭や環境に影響されることは多い。子は親を見て育ち、親はそのまた親を見て育っているので、個人の中に地域性が根付いているもの思われる。

 

そこで長野県の県民性をみると、男性は生真面目で融通が利かないくらいの堅物といわれている。理屈っぽく議論が好きで、何事も裏付けを求める合理的な性格の持ち主である。規則正しい生活を送る、これが長寿の秘訣かもしれない。またギャンブルは好まず、ふざけた生き方を許さない県民性といわれている。

 

一方女性は男性ほど生真面目ではなく、柔軟性を持ち合わせ、しっかりとした考えを持つ現実主義者であるという。自分を抑えながらストレスをコントロールできるので、これまた長生きの秘訣のひとつになる。

 

長野県といえば県歌でもある「信濃の国」は小学校で歌われるため長野県民なら誰でも歌える。その歌詞に表されるように長野県は広大な面積に松本、伊那、佐久、善光寺と夫々山で囲まれた4 つの盆地が存在する。それぞれの地域をひとつの県をしてまとめるために作られた歌といわれている。ちなみに私は「信濃の国」上手には歌えない。

 

長野県民の仕事ぶりは派手なパフォーマンスを好まず、目立たなくても研究熱心である。緻密で細かくミスは少ない。上司として頼りがいはあるが、部下のミスに対しては厳しいところがある。議論を通して自分で納得した上で業務をこなす。長野県の中南信地域には精密製造業が多いのは、まさに県民性を裏付けているようである。

 

生真面目による悲劇

 

生真面目は人の性格を良く表現した場合であるが、裏返すと一本気で折れやすいことでもある。右肩上がりで成長している時代は勤勉で、生真面目であれば自然と昇進し昇給していったかもしれない。しかし、現在みたいに社会が縮小し、不確実な時代にはこれまでと同じことを繰り返しているだけでは明るい将来は保証されない。

 

かつて生真面目の象徴みたいな友人がいた。会議では大きな声でその場を仕切ることはなく、決められたことをコツコツとこなしていた。有名大学を卒業していたので幹部候補生だったかもしれないが、目立った発言をすることはなく、部下を持つこともなく次第に一人で仕事をすることが多くなっていった。

 

ある時仕事の負荷が集中して休日出勤ならびに毎日帰宅するのが12 時過ぎになる状態が続いた。またそのころ持病の腰痛が再発し、会社を休んでは病院に通っていた。一人で仕事をしていたので、休んだ分は出勤した際に取り戻さなければならない。

 

長期に渡り腰痛と期限が決められた膨大な仕事にたった一人で戦っていたのである。周囲の者も忙しかったので、他人を思いやる余裕はなかった。人一倍責任感が強く一旦自分がやると決めたので、何としても成し遂げたかったのだろう。

 

そして遂に追い詰められ妻と幼稚園に通う男の子を残して自ら命を絶ってしまった。会社では労災にしなかったが、事故に対してもめることもなくしめやかに葬儀が行われた。

 

葬儀の際泣きはらす奥さんと状況が分からないまま静かに立つ男の子が印象的だった。やがて奥さんは子供を連れて実家に戻っていった。

 

自殺に至らなくても仕事の悩みを抱えてうつ病になる人は増加している。うつ病になればこれまで同様に仕事をすることは難しくなる。また、人間関係もギクシャクしてくるので退職する可能性は高い。

 

他の病気やケガに比べうつ病による入院日数は長くなる。収入がないところで治療費が増えれば家計は当然苦しくなる。やがて家族の崩壊につながることも珍しくない。

 

うつ病は物事に白黒つけたり、相手を敵か味方か二分割する思考の人に現われやすいといわれる。あいまいさを認めず、一部を見て一般化する思い込みの強い人のほうがかかりやすい病気である。生真面目な性格はこんな危険をはらんでいる。

 

サラリーマンは気楽な稼業

 

「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」この曲は植木等のドント節の出だしのフレーズである。この曲を歌える人はそこそこ年配の方と推測する。植木等はクレイジーキャッツに属し、昭和30 年代に活躍したコメディグループである。

 

他に有名な曲として「ハイそれまでョ」「スーダラ節」「だまって俺について来い」などがある。今聴くと歌は決して上手くないが、底抜けの明るさは現代人にないキャラクターに思える。

 

他にも無責任を演じるキャラクターは釣りバカ日誌の浜ちゃんにも通じる。

仕事しか取柄のない者からみれば仕事より優先して趣味に没頭できることがうらやましく思える。

 

戦後10 年が経ち高度経済成長の入り口で多くの者がサラリーマンとして日本経済を支えた。勤勉なサラリーマンからみると、もっと気楽にまた無責任に生きられたらと現実から逃避した夢と重ねていたのだろう。

 

自分がやらなくても何とかなるという感覚には憧れを抱くものだ。

会社に長年勤めると当然中心的な役割を担い、いつしか会社、職場を動かしているのは自分であると思い込む。自分がいなければ会社が回らなくなると錯覚してしまう。

 

そんな中心的人物がいなくなれば、一時的に会社は混乱するが、しばらくすれば元通りになっていく。

自分しか出来ないと思っているのは自分だけであり、おそらく他の誰かが穴を埋める。会社はチームで業務をこなすところである。限られた人にしか出来ない仕事があるならば、それは会社組織として弱点である。

 

適当でいいじゃないか

 

適当という言葉を使う際いつも迷いを感じる。辞書で調べてみるとそのものの性質や状態が今求められている条件や目的に合致するとある。誤っているのか正しいのかを判断するとしたら、正しいことになるだろう。

 

一方適当にやっておいてと用いれば正しかろうが誤っていようがどうでも良い。ただつじつまが合えばよく、いい加減でも構わないと受け止められる。自分の判断に沿っていれば良いことになる。そんなに生真面目に考えることもなく普段使っているように用いて、相手に自分の意思が伝われば良いとする。

 

理屈っぽく表現することは、自分を大きく見せたい心の表れである。納得しているのは自分だけかもしれない。相手は何をゴチャゴチャ言っているのか呆れていることだろう。議論を重ねて時間を費やすより、行動に移してその結果を見ながら新たな行動を取るほうが効果的な場合がある。

 

議論により意思疎通を図り事前に準備しておくことは悪いことではない。想定しておけば対処もしやすい。しかし、どんなに入念に準備をしても想定外はつきものである。リスクをゼロにすることは出来ない。

 

職場の人間関係は変化しやすい。昨年までは部下だった者が今年から上司になっている。味方だと思っていた人がいつしか敵になっていることは良くあることだ。

 

会社だって社会の中でいつまでも同じことをやっているだけでは残れない。常に変化が求められている。全てを想定することなんて到底不可能なことである。

 

白黒はっきりさせようなんて考えないほうが良いかもしれない。世の中はデジタル技術の進歩があってもアナログで推移している。

 

自分なりに適当にやっていくのはどうだろうか。多少他人から文句を言われようが、他人は他人、自分は自分くらいに考えたほうが健康的だろう。平均値を意識したり、他人と比べると苦しくなることが多い。

 

長野日報土曜コラム平成24年11月24日掲載

有限会社テヅカプラニング 手塚英雄

 

 

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