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51 死ぬ前にやっておきたいこと

 

命は最上級の献上物

 

死ぬ気でやれば何でも出来ると言われて気合が入り、今まで出来ないと思っていたことが出来る場合がある。不可能だと思っていたことが達成できたのは、他の事は一切忘れてひとつのことに集中したから予想も出来ない力が発揮できたのかもしれない。

 

裁判における最も重い刑罰は死刑である。裁判長から自らの死をもって被害者に償うこととするという死刑の判決が下されることがある。死刑と決まった後は世間に出ることはなく死ぬまで刑務所で過ごすことになるだろう。

 

死という言葉を使った慣用句は他にも数多くある。死んでも死に切れない。あいつはもう死んだようなものだ。命に代えて守ります。

 

人にとって命は最も大切なものであり、人が代替に献上する最上級品が命になる。人が命と代替するものは、生きているうちなら持ち得る自由や可能性を全て失うことになる。食べたい、見たい、聞きたい、感じたいことが死を境に出来なくなることである。

 

若い人が亡くなると志半ばで無念であろうと言われ、高齢者が亡くなると大往生をされたと言われる。若い人のほうが将来の自由度が多く、高齢者の方が自由度が少ないと言うことになる。確かに人には寿命があるので保有する時間からみればその通りだろう。

 

しかし高齢者だからといってやりたいことが減少しているとは言い切れない。芸術家や研究者は老いてますます情熱が高まり、作品や成果を残していく人は多い。

 

死は必ずやってくるもの

 

平成21年日本人の平均寿命は男性79.59歳、女性86.44歳で男性は5 位であるが、女性は25 年連続で世界一の長寿命を保っている。

 

平均寿命の定義をみれば、生命表における平均寿命とは、現在における死亡状況が今後変化しないと仮定したときに、今後出生する人が何年生きられるかという期待値である。産まれたばかりの赤ちゃんが何年生きられるかを算定しているので、現在生存している人の推定死亡年齢は平均寿命より高くなる。

 

生命表には完全生命表と経験生命表の2種類がある。完全生命表は5年に1度行なわれる国勢調査に基づいて作成される。経験生命表は毎年作成され、生命保険料算定に用いられている。生命保険会社は生命保険料を契約者が支払う保険料とその運用益を収入とし、保険金支払いと事業継続の経費を支出とし計算している。

 

平均寿命の平均と言う言葉は不思議なもので、自分は平均的な人間だから寿命も人並み、平均くらいは生き延びられるだろうと思ってしまう。会社を退職して年金を受け取り始める年齢が65 歳である。平均寿命まで残り15 年が数えられる。

 

残りわずか15 年と捉えるか、まだ15 年もあると捉えるかは人それぞれである。やりたいことが見つかっている人には短く思えるが、やりたいことが見つかってない人には長い期間に思えるだろう。

 

歴史上名を残した人は生前自分のやるべきことに使命を感じていた人が多いと思われる。やらなければならないことが山ほどあれば、死ぬに死ねない。

 

中国をはじめて統一させた秦の始皇帝は不老不死の薬を部下に命じて探させたことは有名な話である。

あの万里の長城の完成を見届けようとすれば人並みの寿命では足りなくなる。

 

映画グリーンマイルのラストでは主演のトム・ハンクスに奇跡が起き、歳をとらなくなった。友人、知人、配偶者などが皆逝っても自分だけが生き延びてしまう。ラストメッセージでグリーンマイルは長すぎると言っているが、誰もいなくなった後一人で生き続けることはとても長く感じられるだろう。

 

誰もが平均寿命で死ねるわけではなく、若くして亡くなる人もいれば、100 歳を超えて元気なお年寄りもいる。人の寿命は誰にも分からないものである。退職後やるべきことがないから、平均寿命が近づいたからといって、自らの死を意識してまだまだやれることを放棄するのはもったいないことだ。

 

 

死ぬ前にやっておきたいこと

 

ガンなどの病気にかかり死を間近に迎えた方は共通した後悔の念を抱くといわれる。すでに治ることがない病気にかかっていることから健康を疎かにしたことが挙げられる。定期的な健康診断を忙しさにかまけて怠ったために、病気が発見されたときにはすでに手遅れになっていた。

 

たばこは健康に良くないことは十分承知しているが、自分だけはまだ大丈夫と思い込みたばこを止めなかったこと。今日の健康は明日も続くと勝手な思い込みが、いつしか自分の健康を蝕んでいたことになる。

 

自分の健康への気配りの無さに続くものとして、これまでの人生の出来事を振り返り後悔する。そのひとつが悪事に手を染めたことである。その時は危機状態で切羽詰り、自分の身を救うことを最優先にしたため悪事に加担すると、その後悔は死ぬ間際までついて回るということだ。

 

法的には犯罪に当たらなくても他人を欺いたり、陥れたりしたことも後悔のひとつになろう。現役時代は競争社会で弱肉強食は当たり前である。自分が生き延びるためには相手に犠牲になってもらうしかないという極端な行動は、積み重なるにつれてやがて自身に返ってくるのだろうか。

 

続いて死ぬことは相続につながり、これまで蓄えた資産を誰にどのように相続させるかを決めておかなかったことも気がかりになるといわれる。自分の資産ならば自分で思い通りに配分先を決められる。自身に対する貢献度で計るか、これまで支援した量を均等に調整するか、受取先が配偶者や子供であるから法定相続分で決めることも出来る。

 

長男と同居し長男および嫁に何かと面倒をみてもらっていれば、家を出た次男より相続分を多くしたい。

直接的に面倒をみてもらったのは嫁であるが、法定相続分は嫁には一切ない。

 

一方子供は娘2人で双方とも嫁に行っていれば、均等で良いだろうか。近くに住んでいる娘には何かと世話になるが、遠くに住む娘はほとんど顔を出すこともない。大学卒業後就職し、その後の結婚は全て子の意志だけで決められたわけではない。親である自身も了解し望んだ結果である。

 

近居している娘としても親に多く尽くした努力は認めて欲しいし、場合によってはその見返りを期待する。

自分の相続をきっかけに兄弟姉妹が二度と顔を合わさなくなることにでもなれば、死んでも死に切れない。

 

遺産分割と同様に自分の葬儀をどのように行なうか決めておかなかったことも気になるところだ。葬儀会社に連絡すれば立派であるが高額な葬儀が行なわれるかもしれない。本当に列席して欲しい人に連絡が届かないかもしれない。

 

身内だけでしめやかに行なって欲しかったのに、いつしか派手になってしまっても文句を伝えることは出来ない。葬儀に出せる資金に応じて行なわれる葬儀が故人の望む葬儀とは限らない。

 

今しか伝えられない

 

遺族に見られたくないものを自ら廃棄し、残すべきものを配分し、葬儀の方法まで指示した上であの世に旅立てたらどんなに安心していられるだろうか。あまりにも早く準備し過ぎて時間が有り余っても拍子が悪いが、何も準備しないで迷惑かけるよりはましである。

 

しかし、生きている限り生きた証をこれまで以上に残したいと思うのも当然であろう。このように考えるとまだ死ねない、死ぬ準備はまだ早い、と矛盾が感じられるかもしれない。

 

遺言で伝えれば法的拘束力があるので安心かもしれないが、細かいニュアンスまでは伝えきれない。

子供たちにどのように生きて欲しいと言っても必ずしも叶えられるわけではないが、自身の判断で決められることを伝え叶えることはできる。生の声で伝えられるのは今しかないと思われる。

伝える時期に早すぎることはない。伝えることで自分の思いが整理でき、本当にあの世から迎えが来る

までの期間が有意義に過ごせると思われる。

 

長野日報土曜コラム平成22年11月27日掲載

有限会社テヅカプラニング 手塚英雄

 

 

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