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119 日本的ポジティブ感情

葬式仏教

 

お盆になると日本中の会社や役所などが休みに入る。多くの人は長い渋滞や満員電車に揺られながら故郷に向かう。故郷では孫に会えるのを楽しみにしている祖父母や懐かしい友達が迎えてくれる。

お盆は祖先の霊を家に迎えるために迎え火を焚き、きゅうりで馬を作り、茄子で牛を作り仏壇に供える。

浴衣を着て盆踊りに参加し、送り火を持って祖先の霊を送り短い夏が終わっていく。毎年の恒例行事である。

 

仏教が生まれたのは今から 2500 年前のインドで釈迦によって開かれた。やがて中央アジア、東南アジアに広がり、中国、朝鮮を経由して日本に伝わったのが、それから 1000 年後である。仏教、キリスト教、イスラム教の 3 大宗教の中では最も古い歴史がある。

そんな仏教が現在身近で感じられるのは葬式、その後の法事等である。各家が檀家となり菩提寺を支えているが、お寺との関わりは葬儀関連ばかりである。

 

本来現世で生きている人々の煩悩を減少させ、仏教の教えを説く寺はほとんど見かけない。葬式、祈祷、戒名、観光ビジネスで経営を図っている。

かつて戦前は寺院で土地を所有し、農地を貸し、農作物等から収入を得ていた。それが農地解放によって土地が没収され、寺院は経営基盤を失い、葬式関連ビジネスで生計を立てざるを得なくなった。寺院本来の役目を果たす前に収入を得なければ、本来の役目も果たせないということだ。

 

仏教の教えには煩悩の減少があるが、ビジネスは欲望の連鎖なので、寺院自体が積極的に煩悩を取り入れることになった。寺院は農地解放によって経営基盤を失っただけでなく、寺院の本質も失ったことになる。

少子高齢化に伴い、特に地方の人口減少は檀家数の減少に拍車がかかり、寺院経営はますます難しくなっている。

 

仏教の教えは現世のため

 

これまで宗教にはほとんど関わることはなかった。どちらかというと一歩も二歩も引いて受け止めていた。布教活動されている方々は丁寧に断っているにもかかわらず、配布物の説明、集会の誘いを止めようとはしない。小さい子供を連れて来られれば、強い口調では断りづらくなる。

 

信ずる者だけが救われると思うのは勝手だが、その思いを他の人にまで押し付けるのは止めて欲しい。また、盲目的に神を信ずることは、自分で考えることを放棄することにならないかなどと思い、生理的に拒み宗教を遠ざけるようになった。

仏教の解説を読むと葬式に関連することなど全く見当たらない。仏教の教えは現世に生きる人々の生き方について説いている。この世で幸せに生きるノウハウが記されている。

 

初めに「何事も教師や司祭の権限だけの理由で信じてはいけない。よく吟味熟考した上で理性と経験によって自ら承認すること」という言葉は意外であった。

 

この世は苦しみに満ち溢れていると言われると、つい引いてしまいがちだが、ここで言う「苦」とはストレスのことをいっている。ストレスである苦には原因と結果がある。

現在生じているストレスの原因を突き止めること。そしてその原因を取り除くことでストレスから開放されるという。あまりにもシンプルで当たり前の論理である。

 

人の苦しみの基は「煩悩」であり、108 個あるとも言われているが、大きく分けると「貪欲」(物を必要以上に求める心)、「瞋恚」(自分の考えに反することがあれば必ず怒るような心)、「愚痴」(物事の正しい道理を知らない心)の 3 種である。

煩悩は人間の心に偶発的に付着して、連鎖反応を起こして拡大していく。連鎖反応を起こさないようにするには「気付き」という知恵が必要になる。「気付き」を得るには「瞑想」というエクササイズが相応しい。

 

その際「八正道」が取り入れられる。「八正道」とは全て正しい 1.ものの見方 2.思索 3.言語 4.身体的行為 5.生活 6.努力 7.注意力 8.精神統一である。煩悩を取り除き苦しみを克服した者が悟りを開いた状態である。

 

仏教用語は漢字ではあるが、現代用語ではないので、その都度意味を調べなければならないので、なかなか大変である。

 

仏教を重ねた幸福観

 

仏教の教えを実践すれば具体的にこのような幸せが得られるとは説かれていないようだ。現世の苦しみから解放されれば、生き生きとした生活が送れるでしょうということだ。現世は苦しみに満ちているというネガティブな観点がある。

米国では幸福観に「誇り」「興奮」があるが、日本における幸福観は「平穏」「安心」である。誇りは自尊心の表れであり、興奮は心が躍っている状態である。

 

仏教では他人に見せびらかすような行為は煩悩色が強いと思われ、興奮は平常心を失い、偏った精神状態であると捉える。煩悩を取り除いていくとバランス感覚を備え、リラックスした状態になるので、日本では米国のような独立的自己観ではなく協調的自己観が主流となる。

 

幸福感と所有物との関係では、基本的欲求が満たされるまでは相関関係が見られ、やがて乖離してゆく。この関係は幸福感と所得にも共通して見られる。

しかし、基本的欲求といっても人それぞれ異なる。例えば住宅にしても風雨がしのげるだけのもの、家族が団欒を過ごせる広い部屋、季節が感じられる庭木付きの住宅、誰が見ても立派だと思う豪邸など。人の欲求は色んな要素を取り入れ膨張していく。

 

必要以上のものを求める心は煩悩の貪欲といって断たなければならないものと仏教では教えている。この教えの基には「諸行無常」がある。物はいつか壊れ消え去るものだから、こだわっても仕方がない。物事が変わらないと思うから執着が生じ、そのためにストレスが生じる。

 

日本人の精神構造に合っているような気がする。というよりは仏教の考えが現代日本人の精神構造を形成したのだろう。

幸福感のひとつに「フロー状態」があり、夢中、没頭状態をいう。自分の挑戦課題が自分の力量とマッチしていると表れる現象である。その取り組みが自分の所属する組織の目標と合致すれば更に大きな力

を発揮するといわれている。

夢中になり没頭すれば本人は幸せかもしれない。場当たり的に所属した組織が果たして社会に貢献しているのかという視点が必要である。

 

新興宗教の布教活動では本人は使命と感じて信者拡大に夢中になり幸せかもしれないが、傍から見れば大きなお世話ということもある。

夢中、没頭は盲目的であるので、誰か立派な方が言っているからという理由だけで思い込むのは危険である。正しい見識と自己責任を持って行動すべきだという仏教の教えは理にかなっている。

 

悟りの境地

 

数多くの煩悩を断ち、悟りの境地に達した者を阿羅漢という。

仏となり、成仏した者の意味である。亡くなることを成仏というが、本来の意味はこちらである。

現代社会に生きる者が成仏する、悟りの境地に達するのはほとんど不可能と思われる。私たちは資本主義の下で生活している。物事の取引には全てお金を介して行われている。

 

品物を 100 円で仕入れて 80 円で販売していれば、その商売は立ち行かなくなる。それならば適正価格で仕入れて適正価格で販売する。どんなに志し高く、社会貢献に値するとしても仕入れ値が販売価格より高いことはない。

 

商売はいかに安く仕入れて、高く、数多く販売するかを競うことになる。これは煩悩の貪欲を掻き立てる行為になる。

さらにどこでも売っているようなものをここでなければ買えない、他とは違うというセールストークは悪意の言葉になる。新しいお客を連れてきたらあなたの分をタダにしようというマルチ商法まがいでは悪の伝染を広めることになる。

 

お金と縁を切って生活することは現代社会ではあり得ない。悟りの境地に至らなくともリラックスしてバランス感覚を整えるには、仏教の修行法である瞑想は効果的である。

最近ではマインドフルネスといって職場で取り入れるところもあるが、まずは自分で試して確認することだろう。

 

長野日報土曜コラム 平成 28 年 7 月 23 日掲載

有限会社テヅカプラニング 手塚英雄

 

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