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長野日報新聞「土曜コラム」に掲載中のコラムです。ぜひお読み下さい。

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120 煩悩は常に悪とは限らない

荒行は凄まじい

 

僧侶は毎日規則正しい生活を通して修行を行う。朝早くに起床し、境内の清掃、食事の準備、読経など生活の全てが修行である。人の心に湧き上がる煩悩を取り払うことが修行の目的のひとつにある。全ての煩悩を取り払い、悟りを開いた者を阿羅漢という。

かつて永平寺を訪れたとき、修行僧達はきびきびと寺の中を行き交っていた。彼らは礼儀正しく、元気よく、ひたむきに修行していることは誰にもすぐに分かった。

 

日々の修行とは別に荒行といわれる修行がある。中でも世界三大荒行とされる、インドのヨガ、日蓮宗の大荒行、千日回峰行は過酷を極める修行として知られている。このうち千日回峰行はこれまでほんの僅かな人しか成功していない。

千日回峰行は、奈良県吉野山にある金峯山寺蔵王堂から 24km 先にある山上ヶ岳頂上にある大峯山寺本堂までを 1000 日間往復する修行である。毎年 5 月 3 日の戸開け式から 9 月 22 日の戸閉め式まで約 4 か月、120 数日間を行の期間と定め 9 年の歳月をかける。

 

午後 11 時 30 分起床と共に滝行、身を清め、装束を整えて午前 0 時 30 分に出発する。道中にある 118か所の神社や祠で般若心経を唱え、勤行をしながらひたすら歩き続ける。

山頂到着は午前8時30分、宿坊で朝食を取り、また来た道を辿り帰山するのは午後 3 時 30分。雨の日も風の日も嵐の日も、体調が思わしくない日でも 1 日たりとも休むことはできない。

 

徒歩で往復 48km の山道は、舗装もされていない断崖絶壁もあるため、少しの油断が命取りになる。また、食べ物もおにぎり 2 つと 500mlの水のみ、戻ってきても次の日の支度があるため、眠れるのは 4 時間程度という厳しいスケジュールをこなす。

そして、この修行は一度始めたら休むことが許されない。万が一、この修行を途中でリタイヤする場合は切腹するか、紐で首をくくって死ななければいけないという掟まで存在する。正に命がけで取り組む修行であることを物語っている。

 

さらにこの修行を終えた者は、四無行と呼ばれる修行をセットで行わなければならない。この四無行というのは、食べない、飲まない、眠らない、横にならないという過酷な状況で 9 日間行われる。

このような荒行を通じて極限状態を経験した者が感じたことは「感謝」「反省」「敬意」だという。日常生活で当たり前と思われることを改めて実感したと語っている。

 

あるがままを受け入れる

 

普通の人は死の際まで自分を追い込むような修行は到底不可能である。また修行僧のように俗世間と隔絶されて場所で家族と別れて修行することも困難であろう。

死の瀬戸際を経験しながら修行に励んだ者は人の心に湧き上がる煩悩を消し去ることができるかもしれない。あらゆるものへの執着を捨て、人の本能である欲求までもコントロール出来るかもしれない。

 

修行を積み重ねた者は、おそらくどんな苦しみにも耐えることができるだろう。生身の人間であるから痛みは当然感じるだろうが、精神的な痛みには相当な耐力が備わっていると思われる。

修行は共同で行うことがあるが、他の者は出来るが自分にはできないなどと他人と比較し、競い、他人の結果をねたみ、自分の成果を自慢することはないだろう。

 

怒りは心の乱れであり、精神の未熟さの表れであるから、怒りを感ずることはないだろう。怒り、悔しさ、妬み、争いなどは煩悩の最たる表れである。

普通の人は「利便性」に大きな価値を見出しているが、修行僧からみれば不便という苦しみからの逃避に映るかもしれない。逃避は不誠実な行為であり、苦労には前向きに取り組む姿勢が求められる。

 

また「快適性」も普通の人には重要な生活基準である。環境要因は労働生産性に大きく影響する。湿度、温度が高ければ頭も働かず、ミスも多くなる。修行僧にしてみれば自分の弱さ、甘さを環境のせいにしているとなるのだろうか。中途半端な意識の下で仕事をしている、集中力不足と一括されるのだろうか。

修行僧は普通の人の行為の未熟さを見下すような言い方はおそらくしない。そんなことが頭に浮かんだ時点で自分の未熟さに気付くはずだ。

 

仏教の教えではこの世は苦しみに溢れているという。その苦しみは自分の心に湧きあがる煩悩により引き起こされるので、八正道をもって煩悩を取り払うことを勧めている。

見方を変えると、苦しみの原因は自分の心の中にあり、意識を変えることにより苦しみを感じなくなるといっているようだ。意識を変えることは現状に不満を感ずることなく、すべてにおいて現状のままを受け入れることになるだろう。

 

文化は欲求の結晶

 

最近世界遺産の登録が頻繁になり、このようなものが世界遺産に登録されるのかと驚きを感ずることがあるが、将来への継承のため登録は必要なことかもしれない。

世界遺産の中でも文化遺産の登録は欧州に多くみられる。たとえばエジプトのピラミッド群は世界遺産登録が始まり間もなく登録された。

ピラミッドは王の墓である。自分の墓を生存中に建造を指示したか、後継者が前王の威光を継承したことを知らしめるために建造したとしても、その意図するところは煩悩に通ずる。

 

欧州の中で文化遺産が最も多く登録されているのがイタリアである。その中でコロッセウムは有名であるが、ここは闘技場であった。猛獣と剣闘士、剣闘士同士の戦いが見世物として行われた。勝った者だけが生き残り、敗れた者は死んでいく。

目の前で繰り広げられる命をかけた戦いは見るもの全てを興奮させただろう。その残虐さに直視できない観客もいただろうが、このような施設は煩悩の象徴といってもいいだろう。

 

フランスにも多くの文化遺産が登録されている。映画のロケにも使用されるベルサイユ宮殿は有名である。世界中の観光客が訪れる施設である。

これはルイ 14 世が建てた宮殿であり、フランス絶対王政の象徴的建造物といわれている。建物の外観のきらびやかさに驚かされ、中に入るとその装飾や調度品の凄さは言葉に表せないほどである。

 

さらに宮殿そのものも大きいが、宮殿を取り巻く庭園はバスで移動しなければならない広さである。庭園内の街路樹は高さ 30m以上もあるが、全く同じ形に刈り揃えられている。代々受け継がれた専門の庭師が手入れをするといわれるが、宮殿の内外共に圧巻である。

 

煩悩を大きく分けると「貪欲」(物を必要以上に求める心)、「瞋恚」(自分の考えに反することがあれば必ず怒るような心)、「愚痴」(物事の正しい道理を知らない心)の 3 種である。これらから派生して 108 個の煩悩があるといわれている。

煩悩を個別に表せば私利私欲、執着、慢心、嫉妬、傲慢、虚栄などという言葉が当てはまる。

まとめていえば欲求の充足といえるだろうか。

仏教では欲求を抑えようとするが、欲求の産物が遺産として多く登録されている。遺産は豪華で素晴らしいだけでなく、それを成し遂げようと多くの知恵が育まれた。

 

ピラミッドの巨石を切り出し、運搬し、備え付けるには数学がなければ不可能である。ローマ帝国時代に建造された水道橋は高度な測量技術が必要とされた。宮殿を装飾する彫刻や絵画の芸術性は王のために命がけで取り組んだ賜物である。

私利私欲のために事業を始めた者は本来強欲かもしれない。事業が成功し莫大な財産を手にした者が財団を作り、慈善活動に残りの半生を捧げる実業家は少なくない。

 

人の心は不変ではないので、煩悩だからといって全部否定することはできない。煩悩と同類の欲求は人の行動の原動力である。過度な欲求は自分を苦しめるが、適度な欲求は自分を成長させる。より良く生きるには客観性を備えた欲求と節制のバランス感覚が求められるのだろう。

 

長野日報土曜コラム 平成 28 年 8 月 27 日掲載

有限会社テヅカプラニング 手塚英雄

 

 

 

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